初めての家庭教師は受験生!学力を過大申告されて、実は「1−2」も解けない生徒を受け持った絶望の1年

初めての家庭教師は受験生!学力を過大申告されて、実は「1−2」も解けない生徒を受け持った絶望の1年

【性別】女性
【年齢】(仕事が大変だった当時)
20歳

【当時の職業】
大学生・バイト

【当時の住まい】
実家の賃貸マンションで親と同居

【その仕事はまだ続けてる?もう辞めた?】
転職して、違う業種で働いている





【就職のきっかけと経緯】
国立大学に通っており、その大学に通っている生徒が教えるという信頼で生徒を集めている会社で、たまたま私の家の近くに家庭教師を希望している生徒が応募してきて、友人からその仕事を紹介されて承諾した感じです。

【環境と仕事内容】
勤務体系は週1、2時間程度。
派遣する形で直行直帰、指導内容を書式のある報告書にあげて期限内に会社の郵便受けに入れておけばOKだったので来社はなし。
大学のすぐ近くに会社があったので、大学に通うついでに出していて中の人と会ったことはない。
給与は1時間1500円ぐらいだったと思う。
教えていたのは生徒の家の2階、生徒自身の部屋。
なぜか小学6年生の妹も常にいてたまに勉強見ていた。
教科は数学。

【大変だった時期】
大学生として家庭教師のバイトを。
最初から大変だった




【大変だったこと】
仕事を受ける前の申込用紙では2次方程式ができるなど、必要最低限の学力が認められたため、これなら力になれるかもと受けたが、実際は「1−2」がいくつになるかも解けないような疑似申告で最初から苦労が絶えなかった。
しかも中学3年生の受験生で、正直お先は真っ暗。
今までどうやって学生してこられたんだと驚くしかなかったが、もう時間もないので、なぜ公式がこういう風にできてこう使うのかなど芯から理解させるような教え方はやめ(やってみたが理解してもらえなすぎて、理解できるまで掘り下げてみたら数字の起源までいってしまって本末転倒になった)、とにかく暗記させた。
けれども暗記能力も長けていたわけではないので、何をやっても前へ進んだ実感がなく、受験生の将来を担うプレッシャーが半端なかった。

【大変だった期間】
最初から最後まで。




【当時の心境】
ご両親には気に入られて週二に増やしてくれないかと打診されたが、週二にしたところで取り返せるような状態ではなく、合格させる責任を持てないと丁重に断るも、受験生の将来を担うプレッシャーが尋常じゃなかった。
正直途中で投げ出したかった。

【職場が大変だった原因】
家庭教師申込時の現在の学力の疑似申告。
2次方程式ができるという意味がわからない。
xもyも出てこないマイナスが絡む計算すら解けないんですけど。
寧ろ小6の妹がそれを隣で解いているんですけど。




【仕事で良かったこと】
学力は死んでいたが、人柄としては悪い子ではなかった。
すごくモチベーションがあったわけでもないが、いわゆる普通の子で、宿題はたまに忘れてしまうし、理解できないこともたくさんあった。
人見知りで最初は話すのも緊張していた様子が割とすぐに心を開いてくれて、慕ってくれたので何とかしてあげたい気持ちは残った。




【特にひどかった最悪の出来事】
ご両親が志望校を公立一本で進める意向だったこと。
公立どころか、滑り止めとされる私立嘆願だったとしても先行きが怪しい中で、無謀だと一応説得はした。
家庭の財政状況もあったかもしれないが、もはや可能性がないと言い切れることに賭けるのはこの子の将来をつぶしてしまうと、出口の見えない日々にさらにプレッシャーが増した。
結局私の考えはその他大勢の意見でしかなく、決めるのはご家庭ということであまり踏み込まなかったが、かなり偏差値の低い普通科というよりも障害のある生徒が通うような遠方の高校に入学したと聞いた。
子供のてこ入れするなら受験生になってからではなく、もうちょっと早く力を入れてほしかったと切実に思った出来事。


【相談した人・助けてくれた人】
親やきょうだい、友達には相談というか愚痴として話をよく聞いてもらった。
けれども解決できる人は誰一人いないので、ただ話を聞いてもらっただけ。
基本的には一人で考え、悩み抜いた。
今思えば会社の人に相談しても良かったのかもしれない。

【改善のための行動】
私自身が物事を芯から理解する方がわかりやすい、という考え方だったが、世の中には私の想像に遥かに及ばない範囲で「わからない、理解できない」人がいるのだとその時に初めて知った。
なのでこだわりを捨てて、暗記してしまえという流れにするのは私にとっては覚悟のいる決断、改善だったと思う。




【現在の状況と心境の変化】
初めてうけもった生徒がこれほど問題児だったことは想像をはるかに超えており、疲労も半端なかったので、合格を見届ける前に確か辞める相談をしたと思う。
あれから15年以上経っているが、あの子達も30歳近くになっていると思うと感慨深いと思うばかりで、家庭教師をやって良かったとは正直思わないが、人を教える大変さを知った一つの機会になったと思う。

【学んだこと】
家庭教師は家庭教師でももうちょっときちんとカリキュラムを組んだ会社もたくさんあったと思う。
今回は頼まれた形だったので選ぶ余地はなかったが、教科書などもなく全部丸投げの方針は今でもいかがなものかと思う。
事前確認の大事さ、人を教えることの難しさを学んだ。



【当時の自分へのアドバイス】
あれ以上に力を尽くせることは今でもなかったと思う。
よく頑張って悩み抜いたと今でも思うし寧ろ褒めてあげたい。
もはや疑似申告された時点で私には無理ですと言って逃げても良かったかもしれないので、あまり責任を負いすぎずにやりましょう。
私が負ったのは教える時間だけであって、受験生を合格させろとは誰にも言われていないので。
無理なもんは無理!!